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2017年4月21日 (金)

風向きで明暗をわける

東日本大震災のときの地震は何ともいえない恐怖感と家が倒れるのではないかとゆう不安でいっぱいでした。

あの時、多くの人がそう感じたのではないでしょうか。

先日100mも離れていない近所で火災があり、震災のとき以来の不安と恐怖を感じました。

25時前だったでしょうか、長男の声で目が覚めました。火事みたいと妻と話している声でした。

あわてて2階の部屋から覗いてみると火柱が2階の屋根より高く燃え上がっていました。

自宅から北に5軒先の家が燃えているようでした。爆発音やいままで聞いたことがないガスバーナーのような大きな音で怖かったです。

外に出ると近所の人が出ていて不安そうに見ています。お隣さんが見えなかったので玄関をたたき起きてもらいました。すぐそばで燃えてるからうちは逃げる準備をしますと伝え家の中に戻りました。

そのときも一目見てこれはうちも燃えると感じました。家族にまだ大丈夫だから金目のものと大事なものを準備しろと話しました。

自分は40Lのザックに現金と通帳関係、パソコンを入れ、70Lのザックにテントと寝袋を入るだけ詰め、最後に仏壇から親父の位牌を取り出しザックに押し込みました。

逃げる段取りを家族全員が終えて様子をみていました。そんな中、4軒先の家では裏の家が燃えているので車を車庫から出して子供を連れて避難しました。

それを見てうちも荷物を車に積んで、そばの広い駐車場に移しました。うちは袋小路で行き止まりです。5軒先は路地が違うので移せたんだと思います。

その車には勿論クレートに1匹ずつ入れた2匹の家族も一緒です。殺気を感じたのか2匹とも吼えまくってました。

そして次男を車に待機させいったん家に戻りました。

火の粉はうちとは反対に飛んでいて近所が気になってはいましたが、正直風上でよかったと心のそこから思いました。

ご近所さんは皆落ち着いた様子でしたが、そのときの自分の慌てぶりは思い出すだけで恥ずかしくてたまりません。

真っ赤な大きいザックを背負い、傘も差さずに合羽の上着をきて、ヘッドライトを煌々と照らし足元は陰干ししていた登山靴ですから、今思うと恥ずかしいです。

消防の消火活動のおかげで少しずつ火が弱まり始めたのがよくわかりました。

火が収まると焚き火に一気に水を撒いたときと同じにおいと灰色の煙と水蒸気でもんもんとしていました。

事なきを得てマイカーを帰還させ2匹の家族を部屋に放しました。荷物をリビングに広げ何を持ち出したか反省会をしました。

まずは自分。

自分は前に書いたとおりです。

次男と妻も自分の大事なもの、携帯に財布等々のみ。次男は高校のユニフォームを入れていました。

長男は震災時の避難と勘違いしたか、水やら食料を詰めていました。震災以降、非常時に持ち出すように準備していたスーツケース・・・をも車に入れていました。

色々今回のことで有事のときの避難方法や避難場所、持ち出すもの等を考え直す必要がありますが、この文面からは伝わらないと思いますが家族間の連係が意外と良かったことを感じました。

持ち物のほかには火災警報器を付けようとゆうことにもなりました。我が家にはまだ設置していませんでしたので翌日手配しました。

それと今回の火災の原因は漏電に出火と聞きましたが、放火や空き巣を抑止するためにもセンサーで点灯する照明器具を外部に2台設置することにしました。(ダミーの防犯カメラも・・・)

それと火元と見られる家の住民一人が遺体で見つかったとニュースで知りました。

とても悲しい出来事でした。

今回は家族全員が自宅にいましたが、そうではない時の方が時間にしたら多いと思います。

それぞれが外にいるときに自分のみは自分で守れるような心構えでいてもらいたいと伝えました。

風下で延焼し全焼した家には掛ける言葉がありませんが・・・あらためて風上で良かったと思っていますし家族が全員無事でホッとしてます。

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